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東京駅舎が完成するまで 
 赤レンガの東京駅は6年半の歳月をかけて中央停車場として建設され、大正3年12月20日に開業しました。明治23年に「市区改正計画の一環として新橋〜上野間を市内貫通高架線で連絡し、東京市中央に一大停車場を設置する」と決められてから25年目のことです。 わが国の鉄道は、明治5年に新橋〜横浜間が開通し、明治15年には私鉄の日本鉄道会社が北の玄関口上野駅を開業させます。しかし新橋〜上野間は長い間直結せず、市民の足としては不便なものでした。また、二つの駅を繋ぐことは東北方面と東海道を結ぶ流通の大動脈を作ることであり、当時の経済界の期待も大きなものでした。 中央停車場の設計は、当初、新橋〜東京間の高架線の設計を担当したドイツ人技師フランツ・バルツアーが担当し、明治36年に当時の建築界の第一人者辰野金吾にバトンタッチされました。辰野は洋風建築に和風の屋根を載せたバルツアーの東京駅案に対して「赤毛の島田髷」と評しますが、平面計画はバルツアーの案を踏襲します。つまり、南から乗車口、帝室口、市内電車口、降車口と配置されました。 中央停車場は日露戦争の勝利を背景として、諸外国にも見劣りしない威風堂々とした建築デザインが要求され、辰野は留学時にイギリスで流行していた赤レンガに白い石を帯状に配する華やかな様式を採用したのです。 大正3年12月15日、駅舎は完成し東京駅と名づけられました。3日後の18日に行われた開業式典には青島(チンタオ)を陥落させた神尾中将の凱旋祝賀式も行われて駅前は華やかな装飾で飾られ、多くの見物人で賑わいました。
「赤レンガの東京駅を愛する市民の会」のホームページから
大手町・丸の内 (パノラマ)