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本土からお友達来られたら唐人バカに連れて行きます。
1852年にとある事件は起こりました。
当時欧米の植民地となっていたインドや中国などアジア各地では、出稼ぎの労働者を「苦力(クーリー)」と呼んで、労働力としてアメリカなどへ輸出していました。
そんな中、苦力(クーリー)とされた中国人400名を乗せ、中国の厦門(アモイ)から米国カリフォルニアへ向かっていた商船の中で、仲間を殺されるなどのひどい虐待に耐えかねた中国人達が反乱を起こして、米国人船長と乗組員数名を殺害するという出来事が起こりました。
しかし船を乗っ取った中国人達が台湾に向かう中で、船は石垣島近海で座礁。
380人の中国人が島に上陸することとなりました。
石垣の人々は彼らを人道的に保護しましたが、のちに追撃してきた米英の船に3度襲撃を受け、結果大勢の中国人が亡くなったとされています。
なんとか逃げ切り琉球王国に保護された中国人も、その後疫病などで亡くなる人が絶えず、そのたびに石垣の人々は石を積み、お墓として丁寧に供養していました。
そして翌1853年に、生存者172人が中国 福州に送還されたのでした。
この事件は商船の名前を取って「ロバート・バウン号事件」として歴史に残り、その後長い間点在していた中国人のお墓を、合同で慰霊するために1971年に建立されたのが「唐人墓」なのです。
両脇はシーサーとは違いますね。
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